彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記16

作品を作るまでは良いものの、見せることに抵抗がある人が周りにはちらほらいる。確かに作品には多かれ少なかれ作者の性癖や思想が現れるものなので、恥ずかしくなることも分かる。何よりも、評価されることが恐ろしいだろう。

  結局のところ、作品は見られることで完成するので、どうにか誰かに見せた方がいい、というのが持論なのだが、彼らからすると分かっているという話かもしれない。

  問題は誰に見られたいか、ではないかと思う。例えば、僕の書いているものを投稿サイトに載せても、おそらく需要が異なるだろう。何より横書き表示が気に入らない。だから、Amazonで出してみたり、教授や周囲の方々に見せてみたりしている。

  ただ、まずは身内から、身内に信用できる審美眼を持つ方がいればその方から。見せないという選択肢は、あまり良いとは思えない。

  というのも、「私」を構成する要素も、内部と外部の集合のようなものだからだ。私から見た私と、あなたから見た私が、必ずしも同じではない。それに、どちらが間違っているのでもない。その両面を合わせて「私」が構成される。

  作品もそのようなものだ。作者と鑑賞者の両方が合わさって、ようやく作品の質が確かめられるという面もある。「また鑑賞したくなる」という価値を相手に与えられたら、それほど嬉しいことはない。

  また、苦しみもある。上手くいかない時期の方が長いというよりも、上手くいかないことが次の原動力となるので、作者は常に修行僧のようなものかもしれない。

  まずは身内から。少しずつ広げてはどうか。賞など取れば自信にもなるだろう。何にせよ、作ることをやめるのは勿体ない。