彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「梶井」

久々に記事を書く。論文やら課題やらで追われていた。しかし、我ながら褒めてやりたいのだが、今回の論文は十万字近く書いた。卒論の時はギリギリ二万字程度だったので、この変化は大きい。よく書けたものだ。
僕は梶井基次郎の研究をしていた。僕にとって、文学を教えてくれた作家だ。彼は作風から散文詩と小説の中間のようにも思われているが、僕は心境小説寄りの作家ではないかと思っている。ただ、志賀直哉というよりも、芥川の『蜃気楼』のような、意識的に象徴を込める作風だろう。佐藤春夫ボードレールの影響なんだろうか。
僕自身その象徴表現には影響を受けているものの、小説の先生としては井伏鱒二の方が好みだ。井伏の文体の心地良さ、落ち着いた調子は、本来の自分には相性がいいように思う。梶井の刹那的な熱情のようなものは、少し自分に酔わなければいけない。多分僕は自分に酔うこと自体好きな人間だろうが、それが良い作品になるわけではない。むしろ、あまり良い気がしない。
何にせよ、明後日から修正などすると思うので、また梶井と向き合わなければならない。『檸檬』は一切の無駄がない素晴らしい作品に違いないし、『冬の日』の意識せざるを得ない死というのは、数年前の僕がえらく影響を受けたように思う。むしろ、かれこれ9年近く梶井の影響を受け続けているのかもしれない。この修論は梶井からの自立を意味すると、思いたいものだ。今はまだ余裕もないが、早く作品を作りたい。一先ず、疲れた。