彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「エゴ」

問題の当事者はやはり問題を語ることで精算されようとするものだろうか、などと、訳の分からないことを考えたりしている。つまり、魅力的なブログはやはりその人物の生々しさがあるように感じられるが、得てして、そのようなブログは現状も当人のパーソナルな問題が解決されていないのではなかろうか、と考えたのだ。
どこをどう探していたのか忘れたが、あるブログでヌードデッサンの話があった。ブログに信ぴょう性を求めても仕方ないので何となく見てみたが、やはり投稿日の間隔や内容からすると、なかなか面白いことを書いていると思った。とはいえ、やはり全体的には不健康な話が続いているように感じた。これはその方の生活環境の問題だろうし、ある程度人は似た要素を持つ人と関わりがちだと思うので、僕がどのように感じたところで仕方ない話であるのだが、とはいえ快楽のための刹那的な生き方というのは、程度はどうあれ、あまり好ましい気持ちにはなれない。
しかし、どうして好ましい気持ちになれないのかというのもまた、僕自身のパーソナルの問題に違いない。結局のところ、あまりにも理解できないので不愉快になっているだけなのだ。良い悪いという意味では、僕にとっては悪いというエゴに過ぎない。
前回の記事でも触れたような気がするが、多くの人は自己陶酔しなければならない時期があるのだろう。僕はそれが不愉快になりつつも、自分自身もまた何も変わらず、やはりひどく陶酔することがあると自覚せざるを得ない。不愉快、と書くと、語弊があるのかもしれない。あるいは、若さだとか、脳みその混乱、価値体系の破壊? 様々な言いようはあるが、結局、人生は破壊と再生の繰り返しだと感じる。その波があればこそ、作品は生み出されるわけで。芸術を愛するというのは、エゴを愛することでもあるのだろう。