彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記『水の泡』

勘違いは往々にしてあるものだが、しかし、竹取物語源氏物語を勘違いしたのは痛手だった。一週間かけて林真理子源氏物語を読み終え、ここ数日は仏教について調べていたのだが、これもすべて水の泡となってしまった。せめてここで触れて供養してやろう。
高校は工業系に進んでいたので、古典など中学以来だったが、この林真理子版はなかなか読みやすいと思った。どこまでが原典に沿っているのかは分からなかったが、光源氏と様々な女性たちの心情は、現在のエンターテイメントとそれほど遜色がないと思った。林真理子の手腕か、原典の良さなのか。いずれにせよ、このような作品が千年以上も前にあると考えれば、それほど物語は進歩していないかもしれない。逆に言えば、王道は昔からそれほど変化がないか。
ただ、読んでいて気が重くなった。僕もまた、中高生の頃に欲望を断ち切るため仏教に入ろうか悩んでいた時期もあるが、源氏物語に描かれた光源氏や女たちの欲深さは、良くも悪くもリアルな戯画だった。このような世界は、僕が描きたがる世界とは真逆でもあった。ということは、僕の問題意識の一つに、本能による対立や不幸が含まれているのかもしれない。とはいえ、僕自身プラトニックどころか、性欲に純粋でいることの方が良いと思っている。欲望には素直に従えばいい、と考えるぐらいには、倫理観が歪んでいる。
源氏物語は人にすすめられるような作品かと言われると、興味がなければ読みづらいと思った。性欲についての物語ならば、坂口安吾の『花火』なんかどうかしら。男が女の前で首を切り、女はその血を飲みながら死ぬというような、エロティシズムな世界が描かれている。僕の賞を頂いた作品も、自殺した女の似顔絵の唇に、自分の血を塗りつけるというものだった。これはエロティシズムというよりも、通過儀礼に近いものだったかもしれないが。
そういえば、以前官能小説を書いてみようか悩んで、少し練習してみたこともある。結局、諦めた。官能小説においても、エロティシズムと自慰に用いるのは全く別ものであって、自分の描きたいものはエロティシズムであり、抜けるものを作りたいのではなかった。18禁ゲームにおけるヌキゲーと泣きゲーのようなものか。どちらもやったことはないが。
幼い頃は山本直樹が描く女性にとても刺激を受けたものだが、今読み返すと女性の心情などを考え込んでしまい、全く抜けなくなってしまった。小さい頃はエロ本だったが、今や文学作品のようなものだ。幾花にいろも良い刺激を与えてくれる方ではあるのだが、やはりリアルなところ、というよりも物語が丁寧なので、エロ本寄りではあるがその先の展開やキャラクターの言動の節々に目がいってしまう。肝心の行為中のシーンなど飛ばしてもいいぐらいだ。おそらく、行為そのものに意味を持たせようとする作品は、素直に性欲に結びつけづらいのかもしれない。もちろん、この二人の作品は大変好みだ。だが、捗らない。