彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記④

  二人称小説というものがあるらしい。「あなた」や「君」で展開される作品のようだ。僕は読んだことがない。

  だが、「あなた」や「君」を主人公にしたところで、誰がそれを語るのか考えると、「私」が省略されているだけな気もする。「あなたはこれから街に出て、虫刺されで悶え苦しむところに、白馬の王子様に連れられて、医科大前の定食屋で鯖味噌を食べていたところ、隣のアンドロイドに醤油を垂らされた挙句問答無用で斬られたのでした。自我崩壊のEエンドです」などと言われても、誰だよお前と思わずにいられない。内容の問題か?  そんなまさか。

 

  そういえば、舞台が学校の作品も限界を感じたりする。僕自身学校にろくな思い出がないことや、学校を舞台にすることで登場人物の年齢を下げざるを得ないことなどを理由に、 自分の作品では用いない舞台なのだが、ある程度の想像はできる。青春やいじめや恋愛、それらを内包したものなど、様々な作品はあるものの、どのような展開をしても既視感から逃れられないようにも思う。悪いわけではない。人気になりやすい理由でもあるのだ。同じような展開だからこそ安心できる面もある。

  既視感も舌が肥えていなければ感じられないので、僕はただの偏屈とそう変わらないのだ。それに物語や演出はある程度似てしまうもので、似てしまうからこそ、別の何かを取り入れるなどして個性を出そうとする。

  しかし、テーマ性と奇をてらうことが一致していれば見事な作品だと思うが、奇をてらう以上の目論見が感じられない作品は中々辛い。回りくどい自己主張からくる作者の自己愛を感じかねないからだ。あくまで作品は論理的でありたいものだ。