彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記②

  人には様々な価値観や経験がある、という言葉は耳が腐る程聞いてきたつもりだが、百聞は一見にしかずのようだ。実際知る機会があると、思いの外不思議な気持ちになる。

  このような話の場合、言葉を選ばないと毒づいている可能性がある。どのような文章にするか考えなければならない。様々な価値観があることを認めることと、理解できない価値観に否定的な気持ちになることは、何も矛盾していないのである。

  どうだろう。この気持ちを何かに置き換えてみるか。例えば、小説が好きという話をする中で、よく聞いてみると全く異なるジャンルだった場合、どのように反応すれば良いのか難しい。お互いに気まずい思いをするだろう。何より、僕はそのジャンルにあまり肯定的な気持ちになれないのだ。

  人間は色々な要因から価値を見出すものだ。売上や流行で決めることもあれば、自分の感性で決めることもある。他者が理解し合えないのは、肯定否定どちらも含めて素晴らしいことだ。何もかも理解し合えるのはディストピアと同じだ。誰もが異なる価値観を持つことは素晴らしい。それは同時に、人間が争い続けることにも肯定せざるを得ない。

  だが、僕は争い事が苦手だ。戦争も怖いし、自慢話の張り合いなんかも関わりたくない。人は争うものだと肯定していても、その争いに参加したいかは別の話ということだ。矛盾ではない。

  ここまで前置きすれば、何を書こうと構わないはずだ。好きに書かせてもらえるだろう。このもやもやとした気持ち、一見の価値観の話を書けそうな気がする。と書いているうちに面倒くさくなった。僕は平和が好きなのだ。それにあまりにも、この例えは下手くそだった。