彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記⑦

何かを「評価」する時、しばしば、その評価基準が絶対と考えがちだ。誰しも自分の審美眼を信じてみたくなるものだ。僕も気をつけなければならない。

  実際、「評価」は難しい。とりわけ、勝敗が明確に存在しない分野は、評価する側の思惑や経験に寄らざるを得ない。鑑賞者がそれを信じるかどうかは、評価者の権威や知識に寄りやすいからだ。例えば、何らかの賞を受賞した作品は一つの指標となるだろうし、知識が豊富な方の評価も一つの指標となるだろう。信じるかどうかではなく、信じやすいということだ。

  逆に、「感想」は楽だ。作品が面白いかつまらないかが重要で、後から理由をつけてやればいい。もちろん、質の良さを求めるものでもないので、基本的にはチラシの裏にでも書けばいい内容だ。

  案外、この「評価」と「感想」は混合しがちだ。「感想」はどこまで理由を求めても「感想」にしかならない。例えば、カードゲーム未経験者が様々な理由をつけてカードゲームをつまらないと言い出しても、それは「評価」ではなく「感想」でしかない。当たり屋のようなものだが、似たようなものはいくらでもある。

  そもそも、「評価」するには、その分野が好みである前提が必要かもしれない。僕は推理小説を読んでも、評価することはできない。ほぼ読んだことがないからだ。しかし、好きだからこそ、となると「評価」をできるまでの道のりは随分長くなる。ただ、権威者に従っておけば、楽に玄人は気取れるだろう。『美味しんぼ』など良い例だ。(『美味しんぼ』は好きだぞ)

  僕も「評価」などできない。分析して感想を述べるだけだ。作品に「絶対性」を求めようとすることが無茶なのだ。