彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記⑩

中立でいるというのは難しいが、かといって、極論はその人の劣等感や見識の狭さを露見されがちかもしれない。自分なりの「正しさ」は必要だと思うが、他者にその「正しさ」を伝える必要はない。色々な都合があっての「正しさ」でしかないので、誰もが酔っ払いの戯言とそう変わらないと思っている。

  ただ、自分の「正しさ」が人に理解にされると自信にもなるので、賛同される分にはその方が良いだろう。一々こんな内向的なことを書いていては、「明るくなれよ明るく」と田和安夫に言われかねない。

  酔いと言えば、僕はルバイヤートが好みだ。オマル・ハイヤームという方が書いた詩集で、ずいぶん昔に成立した作品だったと記憶している。1200年代だったか。詩の内容は一貫して、世の中の無意味さを伝えるものだったが、「全ては無意味なのだから、酒を飲み交わして酔っ払っていよう」みたいな内容だった。一度ツイッターに載せたら左翼系の方々に何かされて(リツイート?)、少し驚いた記憶がある。数年前の話だ。

  無意味さとは暗いものではあるが、同時に前を向く方法でもある。恨みや僻みから遠ざかることにもなる。無意味という前提から、新たな価値を見出すこともできる。あくまで、絶対的な価値の存在を否定しているだけだ。ただ、それでは生きていくことが大変なので、自分なりの絶対的な価値を見出していけばいい。僕にとっては小説がそれだ。

  このような考えも、境遇や経験に基づくものと同時に、虚構の影響も強い。僕がそういうものが好みだからか、それとも、そういうものに影響を受けたのかは分からないが、ロックや小説の根本的なテーマも大体こんなものだと思っている。