彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「どうでもいいこと」

どうでもいいことで夢中になれるというのは、誰だって当然のことだ。そもそも、「どうでもいい」の判断が主観的にしか決められない時点で、ある意味では誰しもが「どうでもいい」ことしかしていないとも言えるわけで。

最近もまた、僕にとって「どうでもいい」ことでとても盛り上がっている。古い慣習のようなもの? あるいは、呪縛的なもの? おそらくは大半の方々にとって、実生活上なんら影響を与えなさそうなもので、世間は賑わっているらしい。その盛り上がり方を詳しくは知らないものの、なんだか昼ドラの一幕のようであったり、ここぞとばかりに思想をひけらかす場となっているようでもある。ほとんどの人は当の「どうでもいい」問題が気になるのではなく、他者との一体感を楽しんでいるんじゃないかなどと考えるのだが、そうでもないのだろうか?
極端なことを言えば言うほど、物事を考えられない方々にとっては都合がいい。あらゆる作品でもそうだ。太宰治の作品は気持ち悪い、と言えば、大体のファンは納得されるだろうし、ファンでなくても理解しやすい。内的焦点化やら、メタやら、文学史上の位置やら、そんな細々とした話をしたところで、ファンでさえついていけないだろう。あくまでも、多くの人々が好むものはアイドルではないか。
今回の当人らはまさにアイドルなわけだ。生まれを選べないというのは残酷なものだ。道徳的な価値感に強迫されているような方々にとっては、生まれることを喜びと受け止めがちかもしれないが、やはり境遇の差は必ず生じるものなわけで、この差に何かしら思うことも当然だろう。生まれなければよかった、などと考えることも当然なのだ。
僕としては、今回の騒動で多くの人の価値観に少なからず変化が起きてはくれないものかと思ったりしている。彼らがどうなろうと、世間でどのように盛り上げられていようと知ったことではないが、その後の僕らの精神性のようなものに少しでも変化があるといいような気もする。といっても、何も変わらないのだろうが。