彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記11

日本の近代文学史は意外とややこしい印象がある。基本的には純文学史であって、大衆文学のことではない。この違いがまずややこしい。大正昭和初期の作家なら、大抵文学史に出てくるかというとそうでもなかったりする。江戸川乱歩夢野久作文学史には出てこない。彼らは大衆文学だ。(夢野久作は単純にマイナーな気もするが)かといって、井伏鱒二梶井基次郎も新興芸術派に分類されるかどうかで、その新興芸術派にしても特定の思想があるわけではない。当時主流のプロレタリアート文学に反対した面々という話だ。

  ある程度共通の理論や思想の集まりでなければ「○○派」や「○○主義」は成立しないので、どうしても新興芸術派などは地味だ。同時期のプロレタリアート新感覚派の方が余程有名な印象がある。

  ただ、井伏鱒二の界隈は共通の理論があると思っている。牧野信一からなるファルス派とでも言いたいのだが。

  牧野信一と言えば、少し前にセンター試験で用いられた『地球儀』が有名だ。あの作品自体面白いものの、難問ということで嫌な印象を持つ人が多いかもしれない。スピンアトップスピンアトップスピンスピンスピンだ。

  僕は『父を売る子』がお気に入りだ。文字数の関係で紹介する余裕はないので、iBooksKindleなどで暇があればどうぞ。苦々しく笑える話だ。基本的に、牧野信一と親交があった作家はメタ的な意識が強い気もする。所詮妄想なので、詳細はWikipediaに任せる。

  と思いきや、Wikipediaに磯貝英夫氏の論文が軽く紹介されていた。同じようなことを考えている上により詳しいので、この記事は全くの無駄になってしまった。