彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「モチーフ」

世の中には様々な表現があるものの、どちらかというと、突拍子のないファンタジーにはその役割を担う意味が込められていないと気が済まない質なので、モチーフというものはどうも意識せざるを得ない。
 昔読んだ学生の作品の中に、唐突にドラゴンが出てきて冬を吹き飛ばし春にするというものがあった。このドラゴンが何を意味しているのか、なぜドラゴンなのかは当時の僕には読み取れなかったが(日本的な龍ではなくドラゴンなことも不可解だった)、ジュブナイル? ライトノベル? あるいは、同人界隈の発想のように思ったので、それほど意味があるとは思えなかった。とはいえ、とても大雑把な書き方をすると、季節を変えるほどに強い存在が作者にとって「ドラゴン」だったということなので、「ドラゴン」は絶対的な力を持つ存在ぐらいの認識でいいのだろう。もっと言えば、季節が変わることの理由にドラゴンを据えるというのにロマンがあったぐらいのことだと思う。
 思うに、シュルレアリスムとマジックレアリズムとファンタジーの境界線は曖昧なものだか、結局のところは作中の意味の範囲の違いかもしれない。例えば、ファンタジー作品におけるエルフが排他的に描かれているとすれば、それは自分たちの文化を守るという保守的な集団を描いているものであって、「エルフ」という人間ではない存在自体には特別な意味が込められていない可能性がある。つまり、現実における保守的な考えの人々を一括して「エルフ」と置き換えたのである。
 逆に、骸骨などは分かりやすい。「死」にまつわる何かの象徴であって、ヴァニタスやらメメントモリやらという思想で描かれている。最近読んでいる『やし酒飲み』においても、骸骨の紳士が出てきたりする。いずれも、「死」となんらかの向き合い方をしているように思う。
 両方混ぜて用いる場合もあると思うので、一概にどちらがどちらなのかは言い難い。ただ、僕が例のドラゴンをあまり好めなかったのは、「太陽」を「ドラゴン」に置き換えただけだと感じたからかもしれない。「太陽」そのものが絶対性を有していると思うので、それを生物に置き換えてしまうことで、むしろ、元々のある種の神秘的な、超常的な? 圧倒的な光と熱を前にしては、人間など無力に過ぎないではないか。人間は太陽の機嫌一つで簡単に滅ぶのだ。こんなにすごいものはない。
 実際、ドラゴンにどのような役割を持たせるのかというのは難しい。ファンタジーは架空の生物を現実に当てはめるので、隠居気味の富裕層だとかがいい塩梅な気もする。シュルレアリスムとなると、ドラゴンはおそらく用いない。シュルレアリスムは象徴の連続だと思うので(例えば、ダリの時計の絵で言えば、「時計」は時間を示すものであって、「時間」は私たちの生活の基盤であって、「生活の基盤」とは日常でもある。その「時計」が溶けているということは、日常が壊れていくとも受け取れるだろうし、溶けてほしいという願望とも受け取れる。あるいは、作者にとっての日常の感覚か「溶けている時計」なのかもしれない。また、背景が荒野というのもより崩壊を描いているようだ)、架空の生物を出すという表現にはそぐわないたろう。「鏡の国のアリス」などは両方の面が混ざっているような気がする。読んだことはないが。
 適当に書いてみたが、実際どうなのかは謎だ。とりあえず、メモがてらに。