彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「主観だからこそ」

もし、自分の人生が不幸だと考えている人がいれば、それも一つの答えだとしか言えない。結局のところ、幸も不幸も主観によって決められるものに他ならないので、当人がそう思う以上の答えが存在しないのだ。
誰かによって決められるものでもないのだから、折角だから不幸と考えるよりも、幸福と考えた方が都合がいい。不幸だと思い込むほど、自分に必死になりやすくなるだろうし、何かと幸福そうに見えるものを妬んだり憎んだりしやすくなるだろう。他者との比較は、時には必要だが、大抵は必要ない。
たた、そんなことを言われてもそう簡単なことではないわけで、実際に自分が幸福だと感じなければ、あるいは、他者との比較そのものを否定する考えに至る経験をするだとかしなければならず、いずれにせよ、根本的には肯定感が必要なので(この肯定感というのも面倒くさい。自分に対して肯定感だけなら、結局本質はそう変わらない気もするのだ。もっと大きな範囲で肯定してやりたいところだ)時間がかかることだろう。
比較しようもないことなのだが、流行りものや同世代、もしくは、若い世代の好まれているものを考えると、本質的な問題の解決ではなく、一時的な慰めに終始している印象がある。比較するしないで言えば、どちらも大切なことには違いないので、何かと均衡な状態が大切だと思うのだが、これはどう伝えればいいものか難しい。共感という意味では、青臭い方が理解しやすいことは確かなのだ。
均衡の大切さよりも、劣等感や嫌悪感に同情するような作品は多いのかもしれない。現代社会で形成されてきた精神性? それだけ大人も子供も余裕がなくなってきたということかもしれないし、多くの人々にとって慰めはやはり必要わけで(もちろん、僕も必要なのだ)、虚構の中ぐらい共感して慰められたいと思うのも当然だろう。ただ、そうしたものは若年層に受け入れられるものだと思っていたのだが、その若年層に二十代も含まれる世の中になってきたのだろうとは思う。20から29歳だ。僕もまだ若年層なのだ。
以前友人から聞かされた昼ドラと似ているように感じる。昼ドラは主婦層に向けて作られているために、家事などで忙しく一話見逃した場合を考慮して、何話から見ても大体の流れが分かりやすく作られているとのことだ。音楽も歌詞が分かりやすいほど受け入れやすいことは確かだろうが、歌詞の内容のせいで、僕にはどうも世知辛い。