彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「傀儡か、反発か」

世の中にはコンプレックスがある。コンプレックスは、恐怖症というよりも、他者と比較した優劣に固執する印象がある。自分の劣等感を誤魔化すために、他者を否定するのかもしれない。
僕はコンプレックスが、これまで育ってきた親の教育に要因があると思っていて、そう易々と克服?解消?されることはないと思うのだが、少し不思議なのは親に教えられたことをそのまま受け入れられるものなのかということだ。
親は親だが、特別ではない。類似点はあるものの、親は子をそれほど知らない。それなら、親が言っていることが必ずしも正しいわけではないことを理解してもいいはずだが。ただ、学校の上級生が下級生にいじめに近いしごきをしていたとして、しごきを受けていた下級生はやり返すように、次の下級生に同様のことを行う場合がある。それと同じことなのだろうか。理不尽に育てられた子は、親になって自らの子を理不尽に育てやすいとも聞いたことがある。負の連鎖だ。
ただ、親を反面教師にする場合もある。親のようにはならないと考えて生きる人もいる。この差はなんなんだろうか。僕は『放蕩息子のたとえ話』のように、一度は親元から離れた方が、より広い見識を得られそうな気もしているのだが、そういう問題でもないのだろうか。
親により作られたコンプレックスは、結局ほとんど一生残り続けるのだろうか。大元への疑問がなければ、その人は一生そのままかもしれない。
ということを考えざるを得ないことがあった。僕の出来事ではなく、彼女から又聞きした話ではあったが、なかなか溜息を吐きたくなった。関わる人間を選ぶことも大切なことで、自然と切り捨てることもまた、時には大事なことだ。それがまた、一つの成長な気もする。

とりあえず、今日から題名を入れることにした。700文字も気にしないことにしよう。飽きた。