彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記⑤

小説や漫画は虚構だが、映画やテレビも虚構だ。その違いは、実在する人物を駒の一つにしているかどうかではないのか。

  少し前に、そんなことで盛り上がるような事件があった。詳しく語る気はないので省くが、テレビ番組の演出上悪役を演じていた方が、ネット上のバッシングなどの要因で自殺したというものだった。

  どうやら、実在する人物を用いるほどリアリティーが増すのかもしれない。リアルなほど盛り上がるようだが、そのリアルが嘘だと炎上するものらしい。なかなか難儀なものである。

  だが、僕の考えによれば、虚構は意識的・無意識的に作られるものだ。無意識とは、記憶のことだ。おふくろの味が美味しいと思うことや、懐かしの何かを楽しいと思うことは、その記憶に「良かった」という思い入れがあるからだろう。その思い入れ自体が、一つの虚構だと言いたいのだ。また、いわゆる「勘違い」というのも、虚構と言えるだろう。だいたいの物事は虚構なのだ。

  そもそもの話だが「虚構」の印象がマイナスの場合、「思い入れや勘違いも一つの虚構なのだ」という考えは、マイナスに捉えられるかもしれない。それに不思議なことに、享受者ほど「虚構だから」といわゆる作品を見下したような考えを披露される場合がある。これについて語り出すと、間違いなく口が悪くなるので控えておく。「虚構」の意味や価値が異なるのだ。でもさ。意味や価値があるからこそ研究するわけで、それを「虚構」と言ってないがしろにするのは、むしろ失礼ではないのかね。と、思わなくもない。

  結局、口が悪くなった。だが、これも演出なのである。本当はそんなこと何一つ考えていない。虚構なのだ。