彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「作品と私小説」

エヴァンゲリオンが終わった。賛否両論らしいのだが、色々聞いているとあまり見なくてもいいような気がしている。どうも、僕はそれほどエヴァが好みでもないようだ。
別に嫌っているわけでもなく、テレビ、旧劇、新劇となんだかんだ見てきたものの、どこを楽しんでいたのかを考えると、ケレン味を楽しんでいた節がある。いまいち分からないものの、数値や得体の知れなさで何か凄いことが起こるらしいことが伝わってくる、というのが面白かった。つまり、あまりキャラクターに肩入れするような楽しみ方もしなければ、考察して楽しむようなこともなかった。エヴァにおける考察は、設定の解明に終始している印象があり、テーマや演出の細かさはあまり重視されていない印象がある。
僕自身、テーマ自体はキャラクターが説明していたり、演出の細かさ(というよりも、キャラクターの描写?)にはあまり興味を抱けなかったりするので、やはりカメラワークも含めてのケレン味を楽しんでいた気がする。そうなると、エヴァファンの情熱には少しついていけない気がしている。特に、最新作は情熱的なファンほど良くも悪くも感動するようなので、どうにも敷居が高いコンテンツだと感じてしまった。
エヴァは監督の私小説であるという評価も見たことはあるが、そう思わざるを得ない点がいくつかあるためだろうと推測する。私小説についての話を細かくするとややこしくなるので省くものの、一般的に「私小説」とは、身辺雑記的な意味合いで扱われている。人によって、肯定的にも否定的にも使われる用語だ。
おそらく、エヴァはテーマや人物が分かりやすいために、監督の精神状態が物語に反映されやすいと思われて、結果的に私小説と捉えられているのかもしれない。作品の構造自体から、自然と監督のファンやキャラクターのファンにもなりやすいということだろう。
僕はあまり監督やキャラクターに興味がないので(ただ、ミサトは生々しく嫌な感じの女だったと記憶している)、楽しむにしても演出面に終始しそうなのだが、少し食傷気味な気持ちになっている。あまりにも、世の中キャラクターを中心に作品を楽しむ人が増えたような気がして(もちろん、僕がそういう人の話を聞いたり、見たりするせいなのだ)、そんな人々を増やした代表がエヴァンゲリオンなんじゃないかと思ってしまっている。もう少し静かになってから、さらっと見ておきたい。