彼の頭はつっかえた

なんか雑記ばかり書いてますが、一応掌編載せる予定です。

雑記「SFとリアル」

エイリアンコヴェナントだったかで、同性愛者が船員にいるのはおかしいというコメントを見た。昨今のポリコレを意識した配慮かもしれないが、たしかにSF的にはおかしく感じる。ざっくり言うと、コヴェナント号に乗った船員たちは新しい植民地となる星を探し続けているという設定なのだが、植民地という設定を考えると、同性愛者を乗船させるのは不思議かもしれない。人手を増やすには、どうしても子供を作らなければならないので、船員の候補として適当ではないのでは? ということだ。
宗教で同性愛を禁じていたのも、同じような理由ではないかと思う。子供を増やさなければ国も繁栄しないので、人手を増やせないことは悪いことと認識させようとしたのだろう。もちろん、今は増えすぎたと言っても過言でもないようなので、同性愛をひけらかすことも、また、そうした文化が表に出てくることも、大きく咎める人は差別主義者以外ではそれほどいないのではないかと思う。
日本の場合は、同性同士のキャラクターの交わりに楽しみを見出す層も増えてきた? あるいは、表に出しやすくなってきた。ただ、本当にLGBTの方々は、今尚自分がマイノリティであるということを自覚して生きていることだろうし、別に生きやすい社会とも感じていないだろう。率直に言えば、例えば、腐女子はゲイを好んでいるのではなく、根本的には自分を愛しているに過ぎないので、腐女子の方々が表に出るからと言って、LGBTの苦しみが緩和されたり、理解されることもあまりないと思う。あくまでも、腐女子は虚構に描かれた都合のいい恋愛模様に惹かれているので、生々しい現実のゲイには嫌悪感さえ湧きかねない。
虚構的なグロテスクを好む人で、本当にグロテスクな場面は好めないという人もいる。腕が切られて血が飛び出して、叫び散らすようなキャラクター描写を好みながらも、現実の人間が首を切られる様や、機関銃を撃たれてほとんど爆発しているような様などは見たがらない。あくまで、自分が見たい、自分なりの美しいグロテスクを見ていたいのであって、凄惨な、生々しい人間の虚しさを見たいわけではないようだ。と、ここまで書いてみたが、僕も別にリアルのグロテスクが好きなわけではない。ただ、活きがいい魚を捌いている時、その身体がピクピクと動いたり、跳ねたりする。これは確か反射というやつで、実際痛がっているわけではない。案外、人間もそんなもんだった。同じ動物ということだ。
SFはそういう意味でリアルであってほしいと思うが、万人に受け入れられるようにするには、まず差別意識につながりかねない要素を取り除くことから始まるのだろう。大衆に見られる媒体においては、成立しづらい分野になってきたかもしれない。スターウォーズもそれで荒れてしまったようだし、ラストオブアスも極めて賛否両論になった。結局、配慮する必要が生じたので、ストーリーを無理に捻じ曲げなくてはならなくなってきた? と、これらの作品には感じてしまう。面白さの前に、人を不快にさせないこと、が重視されてきたのかもしれない。前も書いた気がするが、その点フォールガイズって作品はすごいもんだな。